南の島というと、なぜか常に晴天のイメージがある。
もちろん、そんなわけはない。ちゃんと曇りの日もあれば、雨の日だってある。
初日は観光。二日目はビーチ。雨が降ったり止んだりの三日目はショッピングと、お空の神様もいろいろ気を遣ってくれているのかな?
ちょうど良いことに、海外の平板な味付けの料理にうんざりし始めるのも、だいたい三日目くらい。他所の国へ行くと、いかに日本人の舌が驕っているか良く解る。
そんな時には、大きめのショッピングセンターには大概ある、チャイニーズフードの
ワゴンがお値打ちです。紙皿の大きさで料金を分けて、後は気儘にバイキング。炒飯やら、焼きそばやら、エビチリやら、日本人好みの味付けの料理を盛り放題。
お手軽に舌と胃袋を満足させるには、ベストの選択なのだな。
まあ……安いし、美味しいので、知り合いと顔を合わせる可能性は大だけど。
たとえば
「美加ぁ、あなたお金持ちなんだから、奢りなさいよ」
「私、庶民だもん」
「何言ってるのよ。ブルームカップの賞金をまるまる残している上に、QOLP
ジュニアタイトル戦2連勝で、タイトル料も入ってるじゃない」
などと、聞き慣れた声がしたりする。
ついでに
「お金持ちと言えば、ノエルちゃんも臨時収入あったよね」
「和希さん。仮にも先輩なのですから、後輩の
お小遣いを宛てにしないで下さい。……確かにノエルさんは、11月の初防衛ならずとはいえ、タッグタイトル料。更には
年末のプロレス大賞の最優秀新人賞獲得と、臨時収入が続いていますけれど」
「……ぶい……」
と言う声も聞こえてきたり。
賑やかに騒いでいるのは、やっぱりうちの選手達。
英語が苦手な若手達は、集団でショッピングしていた様子。とりあえずはまだ、彼女たちにとっては実用品の、安いワゴン売りの地元ティーシャツ程度しか買っていないのは賢明です。
最終日前には、みんなでデューティー・フリー・ショップに行くのだし。家族等へのお土産は、その際の私の気分次第の奮発を待つのが正解。そのあたりは3年目の金井美加、富沢礼子がぬかりなく、後輩達に指導しているのかも知れない。
まあ、見つかってしまっては仕方がない。安い
ブランチくらい奢ってあげましょう。
無邪気なハゲタカたちは、ここぞとばかりに2杯目の大皿片手にワゴンに群がった。
「……そういえば、霧子さんは一緒じゃないんですか?」
と富沢礼子。秘書の井上霧子とは、そういつもいつも一緒にはいません。
今頃、
ベッドの中でウンウン唸っているはずです。
「病気? お医者さんを呼ばないと」
と慌てるのは金井美加。
大丈夫。二日酔いというやつだからね。あれしきのお酒で、情けない。ミネラルウォーターでも差し入れてやれば、充分です。
看病(?)には、朝帰りの渡辺智美を罰として置いてきた。渡辺のすることだけに、霧子の方が罰を受けているような気がするけど、まあいいや。夜通し踊れる渡辺の体力を見習って、精進なさい。
「霧子さんが二日酔いとは意外ですね。やはり旅行で、はしゃいでいるのでしょうか?」
眼鏡の位置を直しながら、ギムレット美月が首を傾げる。
アハハと笑って、その肩を突っつくのはスターライト相羽だ。
「美月ちゃんだって、結構はしゃいでいるくせに」
「そんなことはありません。和希さんと一緒にしないで下さい」
「だって、明日の海中観光の潜水艦の予習にって、読めもしない英語の魚類図鑑を買ってたのは美月ちゃんでしょ」
「あ、あれは写真が綺麗だったから……」
そんな二人に目もくれず、白石なぎさは、買ったばかりのティーシャツを並べて嬉しそう。
「……お魚……これも、お魚……カニさん……カメさん……」
美月となぎさは、海外は初めて。楽しんでくれているようで何よりです。
さすがに、渡辺の1年間未勝利の大記録更新は難しい。
11月に初勝利を上げた美月は、その月にもうひとつ勝って、12月も2勝。
ノティア・
リチャーズという好敵手を見つけて、身近な目標が出来た分、表情が明るくなった。
最年少でタッグベルトを獲得したなぎさだったけれど、さすがに防衛戦では警戒されて陥落。2月のリマッチに向けて、パートナーの鏡明日香の指導の元、頑張っている最中。
相羽が逃したQOLPジュニアベルトは、ブルームカップを連覇した金井が、難なくデニース・ハンを撃破して奪回。リマッチでもハンを寄せ付けずに、ガッチリとベルトをキープして新年を迎えた。
金井が、相羽より実力に勝っているとは思えないだけに、これは相性の問題でしょう。
大きな動きこそ無いものの、富沢も相羽も順調に力をつけており、成長曲線の上り坂をまっしぐらに駆け上がる彼女たちは、傍目に見ても眩しいくらいに輝いている。
「うーん。やっぱりベルトのひとつも持ってないと、懐が寂しいなあ。……社長。美加とタイトル戦をやらせて下さいよぉ」
「ふーんだ。レイちゃんなんかに負けないもん」
「言ったわね」
「言ったよー」
こらこら。残念ながら順番です。
2月にジュニアタイトルに挑むのは、白石なぎさ。
急に名を呼ばれて、当の本人は、きょとんと顔を上げて眼をパチクリしている。
相手は目の前だ。同期の富沢が金井に気合いを入れる。
「美加。いくらなんでも、新人相手に負けないでよね」
「うん、頑張る」
対するなぎさは……相変わらず。ひとつ先輩の相羽と、同期の美月の方がやる気満々で煽っているくらいだ。
「ノエルちゃん、気合いと根性だからね」
「……?」
「和希さん。ノエルさんに気合いは無理があります。この場合は無心かと」
「それじゃあ、いつも通りってこと?」
「確かに……そうですが」
「……いつも通り……でいいの?」
なんだかんだで、3対2の睨み合いが始まる。
もうっ。試合はリングで。リングの外には持ち込まないの。それに、今は
バカンスの最中でしょうが。
窘める私の心を、一瞬の違和感が過ぎる。
何だろう?
何かひとつ、重要なピースが抜け落ちているような欠落感。
相羽、なぎさ、美月のトリオが奏でる
ハーモニーに対して、金井、富沢……もう一人誰かが足りないような、落ち着かない気持ち。
彼女たち二人に欠けている、力強さや躍動感を補う誰か。
過ぎ去ってしまった時間の中に、取り残されてしまった誰かが足りない。
単純に錯覚とは、言いきれないもどかしさ。
間違いなく、彼女たちは、出逢わなければいけない誰かと出逢えなかった。
OBの氷室紫月がいたならば、「それも運命……」と呟くかな。私は運命論者じゃないけれど、金井と富沢を見ていると、そう考えざるを得ない。
「ごめん……」
金井と富沢に、そして出逢うことの出来なかった誰かに、私は心の中で謝った。転生輪廻があるならば、並行世界があるならば、どこかで3人揃って、賑やかに笑っている世界があることを祈りつつ。
しばらく彼女たちの賑やかなショッピングにつき合い、あまりねだられすぎない内に別れた。タオル専門店で、お揃いの可愛らしいタオルを買ってあげるくらいなら安いものです。これが鏡明日香や北条沙希では、どこかのブランドショップ行き確定なのだから。
若手達と別れ、一人で街をぶらついていたところ、今度は……
「な……なんですの社長っ」
珍しくも、慌てる市ヶ谷麗華と遭遇した。
何ですのと言われても、私だってお散歩くらいは致します。
それに、どちらかというと、そのセリフは私の方が言いたいのだけれど。
彼女が出てきたお店は、ブランドショップでもジュエリーショップでもなく、日本でもお馴染みのラーメン屋さんのチェーン店なのだから。
「オーホッホッホッ。せっかくの機会です。庶民の味覚というものを体験してみるのも趣がございますわ」
あ、立ち直った。
とは言うものの、バッグにしまう前のお財布から、充分に使い込んだチェーン店のスタンプカードが覗いてたりする。スタンプが溜まると、餃子一皿無料のやつ。
まあ、見ない振りをしてあげましょう。
「市ヶ谷なら海外も慣れているから、こういうお店の方が珍しいかな」
「も、もちろんそうですわ。日本でこの手の店に入るところを見られたら、全世界1000億人のわたくしのファンの夢を壊してしまいます」
……いつの間にか、400億人ほど増えている。
それだけの実績を上げて、より自信も高めたのでしょう。
「それはともかく、きちんとした形で言ってなかったね。EXタッグリーグ優勝と、プロレス大賞の最優秀選手賞、おめでとう」
「当然ですわ。タッグリーグの方は、近藤の頑張りあってのことですが」
ふむ。ちゃんと他人を立てることを覚えたのね。
「このわたくしが、力不足の貧弱な連中を相手にする必要などございませんもの。近藤が蹴散らしてくれたからこそ、取るに足らない相手に手を患わせずに済みました」
こらこら。
まあ、確かに市ヶ谷は別格といえる実力を見せつけた。唯一、彼女の相手になりうる可能性のあったIWWF世界ヘビー級チャンピオンのクルス・
モーガンですら、市ヶ谷麗華の心を動かすことは出来なかったのだから。
「少し、歩きません?」
サンダル履きの彼女の爪先は、自然とビーチの方へと向いてしまう。
眺める空は雨雲が切れ、微かに夕映えのオレンジが覗いている。暗色の海に、ほんのりとオレンジが色を添えた。
「残念ですわね。少し潮風に吹かれたかったのですが……」
寄せては返す波音。
夕凪なのでしょう。潮の香りを孕んだ空気は澱み、薄いサマードレスの裾さえ揺れない。
静かな……はずなのに。
「うおりゃあっ!」
澱んだ熱気を掻き回すかのように、どこからか熱い気合いが流れてくる。
「はあっ! チェストォォォォッ!」
この聞き覚えのある声は……。
呆れ顔の市ヶ谷が肩を竦めた。
「止めて差し上げたらどうですの。リゾートには似つかわしくない振る舞いですわ」
ヤシの木陰で、キックミットをつけたレフリーの長谷川美由紀相手に打撃練習をしているのは、サイクロン近藤。
誰か、この子にバカンスの意味を教えてあげて。
「もう、近藤。こんな所まで来て、何をやっているのかなぁ」
「あ……社長。あはは、見つかっちゃいました?」
罰の悪そうな顔をしたものの、私の隣にいる市ヶ谷を見て表情を引き締める。
「休むときには身体を休めなさい。その為に、わざわざ南の島まで来ているんだよ」
「はい。ちゃんと楽しんでます。午前中に買い物とかもしたし……。でも、やるべき事をやっておかないと、いつまでも追いつけませんから」
キッと市ヶ谷を睨む。
当の市ヶ谷は「あ〜ら大変ですわね」と涼しい顔だ。長谷川も災難だけれど、一応バイト料は近藤から出るらしい。免税店でのブランドバッグが代価なら、安いものかな。
「そうですわね。……その努力に免じて、機会を差し上げますわ」
巻き毛を掻き上げながら、市ヶ谷が笑う。
「3月。わたくしのベルトに挑む機会を差し上げますわ」
こら、勝手に決めるな。
言われた近藤もすっかりその気だ。ちょっと悔しいけれど、組むしかないか。
でも、何で3月?
「本当の意味で『市ヶ谷麗華』と戦える最後の機会となるでしょう。光栄に思いなさい」
謎かけのような言葉に、私も近藤も顔を見合わせた。
「最後の機会って……市ヶ谷?」
「草薙さんの衰えが見え始めたのは、確か22歳の春でしたわね」
生暖かい風が、陸から海へと吹いた。
相変わらず綺麗にカールされた髪が揺らぎ、海へとなびく。
凪の時間が過ぎたのだ。
髪を抑えながら、市ヶ谷麗華は寂しく微笑んだ。
「わたくしも、もう22歳ですから……」
東京へ帰った私たちを迎えてくれたのは、意外にも週刊レッスルの記者、西町珠理だった。南国ボケしている私たちを、彼女のウールコート姿が現実に引き戻してくれる。
「良いバカンスだったようですね。皆さんの顔を見ると解ります」
「ありがとう。……で、何かあったの? 他の団体は年明け興行の真っ最中だし、西町さんをお迎えに寄こす余裕が、週刊レッスル編集部にあるとは思えないんだけど」
「それは買いかぶりです。……もちろん、お出迎え以外の用件もあるのですが」
「で……それは、何?」
「私の古巣からのお願いです」
彼女の古巣。老舗の女子プロレス団体、新日本女子プロレス。
倒産という最悪の事態から、有志たちの頑張りで再び軌道に乗り始めたライバル。いったい私たちに、何の用件があるというのでしょう。わざわざ、西町さんを介してまで。
「選手を一人、預かって貰えないかとの相談です」
選手? こんな時期はずれに?
「はい。新女の再立ち上げから参加していた選手なのですが、旗揚げ前に膝を痛めて手術せざるを得なくなり、ようやくリングに立てるようになったもので」
それは良いけれど、どうして「ラ=ピュセル」に……。
「練習は制限されていても、その後に入ってきた新人選手達の相談役になってくれていたものですから、ここに来てのデビューで新人扱いするのも、ちょっと。それなら、環境を変えて他団体に移籍した方が良いのではと」
なるほどね。移籍先が小さな団体だと、左遷っぽいし。そこで、うちなのか。
「平たく言うと、そうです。それに、他の団体では人を入れる余裕が無くて……。社長さんの所でしたら、まだ6人ほど受け入れられるかなと。本来なら、新女の人間が話すべき事ですけれど、昔の因縁もあって、代わりに私が……」
そういう事情でしたら、断る理由もありません。
過去のいろいろなわだかまりを解くには、良い時期なのかな。それに、新人達の相談役になれる性格なら、問題を起こすとは考えづらいです。
「うちの方は問題なし。ただ、最後にひとつだけ確認してから……かな」
「何でしょう?」
「その選手が、『ラ=ピュセル』移籍先とすることに同意してくれるかの確認が必要。周囲の思惑がどうあれ、本人が希望すべき所で頑張るのが一番よ」
「解りました。……これで、正式に彼女を交えて話が出来ます。ありがとうございました」
簡単な取材を終えると、西町珠理は踵を返す。
軽やかにブーツで床を蹴りつつ、向かう先は新女の事務所だろう。
後日、正式に新女からの申し出があり、選手の移籍が決定した。
ジャンヌ永原は、2月のシリーズから、私たちに合流することとなる。